-破竹の勢い-
第2戦以降の蛯原英夫選手(以下、敬称略)の戦いぶりは、
まさにこの言葉通りだったといっていいだろう。
31460g
この数字は、蛯原が今シーズンウエイインしたトータルウエイトだ。
年間ランキング2位の橋本卓哉選手は29590gだから、その差1870g。その圧倒的な結果は、
まさに第二戦から最終戦までの怒涛の戦いぶりによるものだ。
■第1戦
4月13日に行われた第1戦北浦(潮来マリーナスタート)は、24位という不本意な結果だった。
本人曰く「春というのは魚の足がすごく早い。自分のなかでは嫌いな季節ではないけれど、不安はあった」という。
昨日はいたが今日いるとは限らない。何がきっかけでそうなるのかわからない。わからない要素が多すぎて不安になる。
プラの段階では、3本でいいから4000。
3本取れたらあと2本はなんとか搾り出せる… と思っていたが、結果は1本で終わってしまった。
初戦24位というスタートだったが、蛯原はまだアングラーオブザイヤー(以下、AOY)の座を諦めたわけではなかった。
■第2戦
プラではフロッグとゼロダン+ダブルモーションでいい釣りができて、7kg近いウエイトが出た。それによって自信を持ち、当日は朝から恋瀬川へと向かった。
だがプラ通りにはいかず、初日は7時半にリミットメイクできたがその時点では4kgほどのウエイトにしかならなかった。
恋瀬から移動を決め、ある場所へ目指していた途中、突然ひらめいた。そしてバスボートのバウを急旋回。
「隣にいたパートナーの金井君もびっくりしたんじゃないかな」という勢いで向かった先は、過去に実績があった場所だった。
急に思い浮かんだその場所に、ピッチンスティックのネイルリグを落とすと、食ってきたのは2120gの超キッカーだった。
そこから頭に浮かんだところをラン&ガンし、恋瀬で獲った1300を残して全て入れ替えた。
2日目も朝から恋瀬川へ行くも、初日以上に手応えを掴めず、なんとか搾り出したが移動し入れ替えに走った。
その入れ替えも神がかっていた。
結果、2日間トータル13kg超えというレコードを塗り替える結果を生み出した。
■第3戦
桧原湖。過去の桧原湖戦は100%の入賞率。だが優勝をしたことがなかった蛯原。
「いつか勝ちたい」と願っていたことが、今シーズン叶った。
水深4~6mのなだらかなフラットにあるウィード。
数時間に一本でもいいから、ウエイト重視で狙っていった結果だった。
キーとなったのはダブルモーション2.8インチのプロト。
1m~1.2m程度の超ロングリーダーで、フックはキロフックのバーブレス。バーブレスを使用したのは、魚にダメージを与えないためだった。
蛯原としては「パーフェクトゲームだった」というほどの試合展開で優勝をもぎ取った。
蛯原は、繊細な釣りができなそうだけれど、実は得意。
「桧原は好きなんだな。ライトリグも実は好き。スピニングを持っている俺の絵というのはあんまりカッコいいとは思わないけれど(笑)」。
■第4戦
二戦、三戦と続けて優勝を勝ち取り、勢いは誰にも止められない? と誰もが思った第四戦。神様は蛯原に試練を与える。
ニュートラルセンサーの異常。それによりエンジンがフケずアイドリングしかできなくなった。
仕方なく目の前にあった沖の杭を狙ってみると、ノンキーが釣れた。
そのとき「こんなところで釣れるんだったら…」と冷静になって、近くの石積みに移動した。
そこでキーパーをキャッチし、その後キロフィッシュまで手にした。
そこに、今シーズンはエントリーしていないWBSの長岡選手が声をかけてくれて、自分のボートを貸してくれるといってくれた。そこから荷物を載せかえ、他の選手に遅れること1時間半。
もともと行きたかった霞本湖へ向かった。
東岸シャローで600g、移動して浚渫で1350g。その時点で推定4kg後半。
その後、無風となったので魚が浮いてくると判断し杭を狙った。
古渡の杭でピッチンスティックを落とすとボトムまで落ちない。
「食った?」と思ってアワセたが杭に巻かれてしまった。
諦めずラインを緩めるとバスは出てきたがバスはかなり出血していた。500gがライブウェルに残っていて入れ替えたかったが、そのバスを殺したくなかった。
第四戦を終えて、暫定一位となった蛯原。第四戦が終わるまでは追う立場として強気でいられる。しかし、一戦早くトップに立ってしまい、日を追うごとにプレッシャーが襲ってくる。
「メンタル、意外と弱いんだよ」
蛯原からポロッと出た言葉。これには正直驚いた。しかし追われる立場になったときに襲ってくるプレッシャーに打ち勝たなければチャンピオンにはなれない。
最終戦は2デイ。
2日間でいかに成績を残すか、そこにトーナメントを戦うプロとしての醍醐味がある。
■最終戦
初日の朝。WBSの最年長コンペティターである小林研一さんが、蛯原に近づいてこう言った。
「私ね、過去のデータを見てみたんだよ。あんたの成績凄いよ。自分の過去5年のお立ち台率、何パーセントだと思う?」と。
で、蛯原は「わかんね~ス」と返答した。正直、50%以上はいっているだろうというのはあった。
ところが小林の口から「70%だよ! そんな選手、過去5年でいないよ!」と言われた。
それを聞いた蛯原は、普通にやればお立ち台に上がる可能性のほうが高いんじゃないか、と吹っきれた。
最終戦の初日。スタートして牛堀の浚渫まで、脇目も触れず走った。フットボールを手にして一投目。
ボトムのわずかな起伏を、フットボールは捉え引っかかった。
「ここなんだよな、食うの。外れて跳ね上がった後のフォールで食うぞ!』と思いながら、フットボールはその起伏を超えて、力強く跳ね上がった。
そしてフットボールがフォールした瞬間、コンッ! と入った。
それが1600gだった。
朝イチのこの一本は、勢いを生むには十分だった。
最終戦は実はスピナーベイトがキーになっていた。
東岸のリップラップでDゾーンを巻き倒しリミットメイクした。
最終戦は9月。
まだ人間にとっては夏だけれど、水中は秋に移行していることを感じていた。「いままでよくなかった横の動きに反応しはじめてきたな」と。
だが2日目、昼までに手にできたのは3本。西浦にいた蛯原は、このときいつも世話になっているマリンワークスの小林氏の言葉が脳裏をかすめた。
「500gの魚をあえて釣りにいかない、そんなプライドは捨てなよ。そしたら年間だって何度も取ってたじゃない」。
5本はなんとしても釣らなければ。
デカイのなんのって言っている場合じゃない。
そう奮起して、500でも600でも、あそこへ行けば絶対に釣れると思う場所へ移動した。
とあるスポット、蛯原はスピナーベイトで一度掛けるも外してしまう。蛯原はパートナーの森山選手を前に立たせた。その理由は、Dゾーンをどうしても通せないコースにワームを撃ってほしかったからだ。
「この杭の、右を打て! 次は左打て! もっとタイトに打て!」と言ったら、リミットメイクとなる残りの二本を森山選手が掛けた。思わず、蛯原は叫んだ「ノリー!!(森山選手のこと)よくやった!!」
その後、もちろん入れ替えを狙ってラン&ガンするがタイムリミットとなった。二戦以降四戦までの成績により、蛯原選手には相当な貯金があったが、検量するまではどうなるかわからない。
検量のハカリが示した数字は、3350g。これにより2014年アングラーオブザイヤーの座は、蛯原英夫選手の頭上に輝いた。
蛯原選手に、霞で勝つために何が必要か? をたずねた。
「コンフィデンス…(信じること)。 いかにその場所、そして自分が信じているルアーにどれだけ自信が持てるか。一年間の水揚げの50%はこれだからね」と、ダブルモーションのゼロダンを指差していう。
そして「信頼って言葉でいうと簡単に聞こえてしまうけど、信頼を築きあげるのにはかなりの日数が必要になるわけで、それだけ釣り込んでいるということになるんだよね」。
■蛯原英夫選手のコンフィデンスを支えたルアーたち
ダブルモーション2.8インチ プロト(右)ボウワームD-zone
レポート:三村陽子