その254 歴史的遺産
先日、霞ケ浦環境科学センターの帰り道、
ちょっと崎浜に寄り道をして釣りをした。
残念ながら釣れなかったけれど、練習だと思えば気が楽である。
で、釣れないのは徳の積み方が足らないからだ・・・・・・と、
自分を戒める。
これでまた頑張ることが出来るんだな。
崎浜からの帰り道、道路脇の崎浜横穴古墳群が目につく。
6世紀頃に作られた墓らしいが、定かではない。
しかし、注目すべき点はこのカキ殻の層である。
これほどの量のカキを墓の作られる以前から食べていたなんて・・・・・・。
この辺りの縄文人は食糧がとても豊富で、裕福だったと思われる。
これが霞ヶ浦の歴史なんだな。
カキ殻など貝殻の捨て場だと思っていた貝塚だった。
で、昔の人はこんなにも多くの量のカキを食べていたのか!?
と思っていたらちょっと違っていた。
確かに、食べた殻を集めた場所ではあったのだが、
これだけ重厚なカキ殻があるとそれだけではないのである。
それはカキと言う貝の習性にあるということだった。
カキは岩や石、岩盤帯などの硬いものに張り付いて生活している。
硬質なものはカキが生きていくのに不可欠なものである。
底質が泥底だったり、砂底だったりすると絶滅してしまうのだ。
しかし、カキは浅い場所が好きである。
それは餌が豊富にあるからだ。
そこで、カキは考えた爺さんや婆さん、親父さんにおふくろさん、
さらに兄さんや姉さんたちが死んで殻だけになったところに、
張り付いて生きて行こうと。
で、折り重なるように集まってきた・・・・・・らしいのである。
つまり、この貝塚には縄文人が食べたカキ殻もあるのだろうが、
カキ自らが生き延びるために集まった・・・・・・
と、言う見解に達しているとのことである。
う~ん、面白いなぁ。
子どもたちの自由研究になりそうだな、こりゃ!
そう、そう、縄文人は魚釣りが好きだったらしい。
多くの釣りバリが貝塚や古墳から出土しているからね。
そう考えると、俺たちの楽しみである魚釣りは、
歴史的な文化なのであるなっ!