帰ってきた Cool Cool Phoo

帰ってきた Cool Cool Phoo

●バエン


いきなりで恐縮ですが、

昭和33年3月31日は私にとって絶対に忘れることができない日です。

それは……売春防止法が施行された前日。

つまり『赤線最後の日』だったのです。

 

赤線とは公娼制度が認められていた地域の俗称で、

地図に赤い線で囲まれたことからこういわれるようになりました。

赤があれば青もあるわけで、

公に認められていない地域は青い線で囲まれていたので「青線」と呼ばれていました。

「岡場所」ともいわれました。

ですから昭和33年3月31日は赤線を懐かしむ人々で、各地の遊郭はゴッタ返したのです。

私もそこにいました……なわけないか。

 

んで、なんでいきなり赤線最後の日の話を持ち出したかというと、

6月24日が「吉羽園最後の日」だったからです……ってちょっと強引?

吉羽園、通称「バエン」は私が長らくお世話になった管理釣り場で、

ヘラブナとバス、そしてトラウトという3魚種を取り扱う日本有数の存在でした。

でも一番の売りは食事の美味しさ。

定食やラーメンは、街の専門店より旨いほどでした。

お昼時には近所の工場の方やタクシーの運転手さんなどで賑わっていました。

こんな釣り場がなくなるなんて、ヨシワラが無くなるより寂しいですね。

というわけで6月24日には盛大にお別れイベントが行われました。

バエン最後の日には100人近い人々が集まりました。W.B.S.選手も・・・

いまはもう10月です。

6月の話を何故いまさら持ち出したかというと、

先日、現場の近くに行ったので、

ちょっと寄ってみたからです。

いまの吉羽園はこんな感じになっていました

もの悲しさを感じさせる佇まいでした。

いまではクラブハウスも黄色いテントもすっかりなくなっていました

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