第1戦北浦を5680gで勝利し、好スタートを切った小田島悟選手。
第2戦の土浦2dayでは、初日5290g、2日目には6870gというウエイトを持ち込んで文句なしの優勝を成し遂げた。
第3戦の桧原湖では、優勝こそ逃すが4位という好位置につけ、3戦終了時の年間ランキング争いでは、2位の長岡正孝選手に4760gというウエイト差をつける。
WBSプロトーナメントでは、全5戦のうち3戦を消化した段階で、選手はみな、年間ランキングのどの位置にいるのか、大なり小なり気になるもの。
しかし2015年シリーズでは自身の順位を気にしながら、小田島選手の止められない勢いを、多くの選手が感じていたはずだ。
第4戦では8位となり入賞圏内を逃したが、それでも4戦終了時点での合計重量は25450gで、その段階で2位となっていた平川皓也選手との差は4590gあった。
そして、最終戦。
当初の日程は関東・東北豪雨災害の状況をみて中止とし、本来、クラシック戦の予定だった10月10日~11日を最終戦に延期した。
「秋は苦手」
と話した小田島選手にとっては厳しい最終戦だっただろう。
それでも「4戦で終わってほしくはなかった。だから、俺にとって第5戦が中止ではなく延期になったことは、ありがたい話だったね」と小田島選手はいう。
結果、初日5匹3890g、2日目4匹2940gで7位。きっちりとシングルの順位に入り、年間ランキング2位となった長岡選手よりも2970gの差をつけ逃げ切った。
独走-。
2015年の小田島選手を表現するなら、この言葉がふさわしい。
ここ数年は、クラシック出場権を必ずといっていいほど獲得しており(2015年~2009年まで連続して出場)、WBSプロの中では間違いなくトッププロの一人といっていい選手だ。
しかし、小田島選手が常日頃どのような釣りを展開し、結果を残しているのか、実はあまり知られていないというのが現状だ。そんな小田島選手に、2015年シーズンを振り返ってもらいつつ、パーソナルな面についても語ってもらった。
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川に囲まれたような地域環境で生まれ育った小田島選手。保育所に通う途中にある川で、あたりまえのようにおじさんが釣りをしているのを見て、見よう見まねで釣りごっこをするようになった。
それから小学4年生の頃に、同級生に牛久沼でブラックバスという魚がいることを教えてもらうが、本格的にルアーフィッシングをはじめたのは中学生になってから。
「中学校のとき、何人かルアーでやっている子がいて、その子と一緒にオカッパリに牛久沼へ通いはじめた。自転車でね」。
行けば釣れるという場所があり、自転車で20分かけて行って、5分釣りしてダメだったらすぐ帰る、ということをやっていたそうだ。
「結構めんどくさがりやなんだよね。答えが出ないとすぐやめちゃう」。
通っていた場所はそれほど有名なポイントではなかったが、そこには蛯原英夫選手もよく通っていたという。
「エビちゃんは2つ年下だけど、俺とエビちゃんの共通の知り合いがいてね。だから、エビちゃんは当時から俺のことは知っていたみたいなんだけど、そのとき俺はエビちゃんのこと知らなかった」。
それから、バスフィッシング熱はさらに加速。バスフィッシング関係の品ぞろえも豊富で情報も得られるプロショップに足繁く通うようになる。
そのお店は、取手にある「一竿堂」だった。
当時人気だった雑誌「TACKLE BOX」を愛読し誌面で紹介されていた相模湖や御蛇ケ池などに遠征。しかし、そこまでの交通手段は相変わらず自転車だったため、片道6時間~8時間かけて行くが疲労困憊で釣りなどまともにできずに帰ってくる…なんてことをしていた。
高校卒業後は、アルバイトのような感じで東京ディズニーランドに勤務。一年ほど勤めるが、父親から某有名釣具量販店で勤める話をつけてきたといわれ、転職。某有名釣具量販店には、5年ほど勤務した。そこで知り合った吉田さんという方に、亀山湖の釣りを教えてもらったのもこの時期だという。その人の釣りの影響が大きかったと小田島選手は振り返る。
「いまでいうライトリグだよね。亀山で水深10mの岩盤で、4インチのティーズワームを使う釣り。
極小のガン玉をつけたやつを岩盤沿いに狙うという釣りだった」。
それまで、ただ投げてボトムを探っていた釣りから、ライトリグを使用したリザーバーでのフォールの釣りを経験。これまでやってきたバスフィッシングの常識を覆す釣りに出会ったときだった。その釣りに出会ったことで、20歳~21歳の頃は、毎週のように亀山に通っていた。
と同時に、釣りの幅はさらに広がりソルトウォーターも経験。磯釣りに行ったり船釣りにも行き、ヒラマサやカサゴ釣りなども楽しんでいた。
釣具店に勤めていながらも、相変わらずバスフィッシング関係のタックルが豊富に揃う、一竿堂などをはじめとするプロショップには通っており、お店主催の大会などに参加するようになった。
その頃になると、いろいろなオカッパリトーナメントや、トップウォーターブランドが主催する亀山湖でのトーナメントに参加し、トップウォーターの釣りの何たるかも知るようになる。
そんな中、当時WBSの事務局としての一面を持っていた一竿堂で、WBSプロトーナメントへの誘いを受ける。
「最初は、本当に気軽に『出てみる?』って言われて参加したんだよ。パートナーとしてね」。それが25年前。1992年、23歳の時だった。
「その後だね、やっぱり船が欲しくなっちゃって」。
一竿堂や藤岡つり具には、当時のWBSプロがバスボートを牽引しお店に顔を出していた。駐車場に停まっていた15~16フィートのバスボートがすごく大きく感じ、憧れだった。だが、当時の状況では、とてもじゃないが船など買えない。「これは自営業しかないかな」と一念発起した。
はじめは、知り合いの建築板金を営む会社で働くが、修行の身だったため収入を得られず。困っていたところに、とある水道工事会社の社員募集の張り紙を見る。
『社員募集、いまなら会社の船を使い放題!』
この張り紙に、「これいいじゃん、とりあえずこれ行こう」となって、水道工事会社へ就職した。
実はその張り紙が貼ってあったのは、一竿堂だった。
「結局、釣りが縁でいまの水道屋になったようなものだね。それに、考えてみれば一竿堂がなかったら、いまの自分はなんにもないかもしれない。一竿堂の昭さんに言われなかったらWBSには出ることはなかったかもしれない。それに、それをやりたかったから仕事も変えたし、船も欲しいからそれを実現するために仕事を探した。昔は、そういう人多かったんじゃないかな」。
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「俺の釣りなんて、ほかの人と全然変わらないよ。いたって普通」
という小田島選手。
ちなみに、主に狙う水深は1m~1.5mだという。
それだけ聞くと、いわゆるシャローマンという位置づけになるが、小田島選手の言葉を総括すると、“繊細”であり“慎重”という言葉が浮かんでくる。
まず、2週間前にプラは入らないということ。
「絶対に行かないわけじゃないけれど、あまり行かない。2週間前にプラに入って、あまりにもいい釣りをしてしまったら、それを引きずってしまうから」。
大会前日の公式プラは行わない。これは、現在の霞ヶ浦水系に存在するバスの個体数の薄さが原因であり理由。
プラで仮に3匹釣ったエリアでも、実際のトーナメントでは1匹の釣果だと考える。また、プラではたくさん釣れそうなエリアだと思って行っても、1匹釣ったらそれ以上は釣り込まないようにしている。
そんなプラをするためか、2015年のシリーズ中、小田島選手は他の選手とほとんどエリアバッティングしなかった。
「今年を振り返っても、人と会ってないんだよね。特に第2戦に関しては、今日トーナメントやってんの? と思いたくなるぐらい人と会わなかった」という。
大会中、唯一会ったのは蛯原選手で、それでも二度ほど。あとは誰とも湖上で会わなかった。
トーナメントに臨むときには、いままでの経験や状況を踏まえ、「この時期は、こんなところでこんな釣りかな、というところから入る」。
一応湖を一周はしてみるが、その時期の風向きや状況から違うと思う場所は消去していき、エリアを絞り込んでいく。
「去年よかった場所で同じ釣りもやってはみるけれど、釣れないよね。だから、2015年はよく釣れたなって自分でも思う」。
第1戦
プラで確信を持ったプランを押し通し、霞ヶ浦本湖東岸、麻生・玉造のディープが隣接している石積みを丁寧に攻略した。メインで使用したのは、ダブルモーション3.6のテキサスリグ。
石積みを黙々と狙うには何時間もかかる。石積みは根掛かりしやすい。重いウエイトだと特に根がかるから、時間効率を考えると3.5gのテキサスがベストだった。特にアクションは付けず、バイトも明確には出ないので聞くアワセでキャッチした。このとき、ソリッドティップのヘラクレス ファクト HFAC-67MHSTが、バスをキャッチしていく上で必要不可欠なタックルだったと小田島選手はいう。
キャッチしたのは5本ジャスト。ひたすら丁寧に撃ち、我慢に我慢を重ねた結果の5680gだった。
第2戦
2デイで土浦スタートで行われた第2戦。初日は5290gで6位につけた小田島・柴崎智尋チーム。
濃霧に行く手を阻まれながらも、石積みのパターンを通そうと天王崎から上がっていくが釣れない状況が続いていた。
その後向かったのは梶無川。プラでは釣っていたが、この時期は定番エリアだったため、朝イチは外していた。
8時はとうに過ぎた頃に梶無川に到着。河口から手をつけると、すぐにバスを手にできた。
「あ、これは誰もあがってないんだな」と思い、釣りを続けた。
橋一本目までの間で7~8本をキャッチした。
2日目は石積みに見切りをつけ、河川狙いにシフト。風が出てきてからバイトを得て、何度も同じエリアに入りなおしてサイズアップを狙った。
その場所も風濁りで諦め、南岸にシフトするが風で釣りにならなかった。そして最後に入ったのが桜川だった。そのとき、水深のある河川で行けるところは桜川しかなかった。他の選手も、おそらく同じ考えだったのだろう。中流域には、多くのボートがいた。
「柴崎が1匹目を釣ってくれた。そのとき俺はあまりの風に使っていたウエイトを3.5gから5gに変えていたんだけれど。柴崎が釣ってくれたときに、やっぱり軽いリグじゃないとダメだと思った」。
そして、2日目は6870gのビッグウエイトを達成した。
その後の3戦以降は、冒頭で伝えたとおり。
シーズンはじめに好成績を収めると、その後のプレッシャーが尋常ではない。もちろん小田島選手も、他人が考えつかないほどの重荷を両肩に乗せていたようだ。しかし他選手の追随を許さず、2015年のAOYの座を掴んだ。
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小田島選手に、シーズン中特に使っていたルアーやリグについて改めて聞いた。
「軽いテキサスだね。今年は7割がテキサスだったんじゃないかな。珍しいよ、ここ数年じゃなかったこと。いままではネコやノーシンカーしか使ってないし。そもそも、ここ数年はオモリが付いているものが釣れなかった。でもそれが、釣れるようになってきた」と小田島選手。
また、他の選手と違っていたことや、勝因について尋ねると
「微妙にほかの選手と考え方が違っていたのかもしれない。1つのエリアを狙うにしても、もうちょっと時間をかけて何としてもここで釣ると思うべきか、見切るのか。その見極めが大事なんだと思う。それと、修ちゃん(赤羽選手)が、この釣れない中で桜川で我慢して釣っていて、その時間配分とか凄いな、と思うんだけど、そんな時間配分とかが、いまの俺にできているのかもしれない」。
現在の霞ヶ浦のポテンシャルみたいなものを理解していないと、何が正解だったのかわからない。しかし、プラでは確実に5匹釣れる場所を押さえているが、その各エリアに共通点がなければ、それが正解とはいえないという。
「それが正解と決定づけるには、それと同じようなエリアだけど違う条件のエリアを何箇所かまわる。それで釣れなければ、やはり違うと思えるし、その裏づけがあれば、ここで頑張るしかないと思えるんだよね」。
WBSでは、選手たちがスタートした後、トーナメントエリアを周り撮影をしている。2015年に関しては、小田島選手とまったく会うことはなかった。
「カメラ隊と会うと調子よくないんだよね(笑)。俺がなかなかみつからないときは、たぶん調子がいいときだと思うよ(笑)」
2016年のシーズンスタートは、4月から。カメラ隊が小田島選手をみつけてしまうか、みつけられないか。楽しみにしておきたい。